【徒然草】久遠の記憶
2009年5月27日 TCG全般 コメント (3)“いつからマジックをはじめたのかな?
最初にきっかけは何でしょうか?
初レアは?
最初の大会は?”
今日の定例会うちの部署一切報告する内容がないので、
記憶を辿ってみた。
初めてMTGをしたのは中国の雑誌からだった。当時はまだ1998年、確かに5版発売し
たばっかりな気がする。
その雑誌に、MTGについて紹介した。但し、中国での発売などは一切言及しなかっ
た。
そして初めてマジックのカードと接触したのは1999年の夏、確かにウルザブロック
と第6版が発売されている。
初レアは《ガイアの子/Child of Gaea(USG)》、当時はまだ大きいクリーチャーは
正義だと信じていた時代だった。
そのカードはとても重宝だった。
最初公認大会に出たのもあの時期だった。
詳細は覚えていないけど、デッキ中のパーツは:
《エルフの抒情詩人/Elvish Lyrist(USG)》
《飛びかかるジャガー/Pouncing Jaguar(USG)》
《ティタニアの僧侶/Priest of Titania(USG)》
《ガイアの恵み/Gaea’s Bounty(USG)》
《ブランチウッドの鎧/Blanchwood Armor(USG)》
《ガイアの揺籃の地/Gaea’s Cradle(USG)》
《ガイアの抱擁/Gaea’s Embrace(USG)》
《ガイアの子/Child of Gaea(USG)》
《巨大化/Giant Growth(6ED)》
など。
とりあえず、クリーチャーをだして殴る。
それは自分の黎明期であった。
その後日本に来た。当時はカードをファイルに入れて、日本に持ってきたが、学務
などが忙しい過ぎて、
全然触っていない。そして引越しとともに、そのファイルも行方不明になった。
orz
そして、数年がたった。早稲田大学を卒業し、本田技研への就職も決まって、ちょ
っと暇になった。
池袋でうろうろしていたら、当時まだ6階にあるアメニティに迷い込んだ。ちょう
どラヴニカブロックの発売。
好奇心と当時の記憶が蘇ってもう一同マジックをやることにした。
最初組んだデッキはボロス。また殴って焼くしかできないデッキだった。
いろいろのカードの強さがわからなくて、結構ぼろぼろに負けていたことがあった
。
更にルールに対しての理解が足りなくて、数回シャークされた経験がある。
例えば、こっちは場に《ボロスの速太刀/Boros Swiftblade(RAV)》がいて、向こう
は《闇の腹心/Dark Confidant(RAV)》がいて、墓地に《暗黒破/Darkblast(RAV)》
。
そこで向こうは《闇の腹心/Dark Confidant(RAV)》の能力で発掘して、《暗黒破
/Darkblast(RAV)》を打って、更にドローで発掘して、《暗黒破/Darkblast(RAV)》
を打った。とか。
まぁ、ルールを知らない自分が悪いかもしれない。
その後ギルドパクトの発売。jここから、本格に構築を始めた。
中国への帰省の機会で、向こうの都道府県選手権へ出場した。
時はちょうどコールドスナップ発売されて、解禁する前。
使用したデッキはグルール。
デッキレシピ:
4《瘡蓋族のやっかい者/Scab-Clan Mauler(GPT)》
4《焼け焦げたルサルカ/Scorched Rusalka(GPT)》
3《激情のゴブリン/Frenzied Goblin(RAV)》
4《炎樹族のシャーマン/Burning-Tree Shaman(GPT)》
4《黒焦げ/Char(RAV)》
3《血の手の炎/Flames of the Blood Hand(BOK)》
2《梅澤の十手/Umezawa’s Jitte(BOK)》
4《シラナの岩礁渡り/Silhana Ledgewalker(GPT)》
3《腐れ蔦の外套/Moldervine Cloak(RAV)》
4《巨大ヒヨケムシ/Giant Solifuge(GPT)》
2《ブリキ通りの悪党/Tin Street Hooligan(GPT)》
4《踏み鳴らされる地/Stomping Ground(GPT)》
4《カープルーザンの森/Karplusan Forest(9ED)》
2《怒りの穴蔵、スカルグ/Skarrg, the Rage Pits(GPT)》
7《山/Mountain(ALA)》
6《森/Forest(ALA)》
結果は1敗の5位抜けして、準々決勝でズーに勝った後、用事があって、ドロップ。
このトーナメントは自分最初の上位入賞だった。
その後栃木の大会に出るようになって、初めて参加したのは一刻館のFNMドラフト
。
順取りとは知らずに、《寺院の庭/Temple Garden(RAV)》を初手とか、色々恥ずか
しい経験をした。
ちなみに当時のメンバー:
高澤さん、カナ師匠、桜井くん、神山くん、岩崎くん、ねぎしさん、オレとあと一
人だれか。
もちろんボコボコの3連敗でした。 (^^;)
その次、TFC44thへ出場して、良くわからないけど、いきなり2位になって、LOM権
を手に入れた。
その年末の都道府県は赤白緑バーンで9位。残念。
そこから、本気を出して、東京の大会にも行ったりして、遠征するようになった。
おかげさまで色々の良いプレイヤーと出会って、充実な時間を過ごせた。
でもすべてのプレイヤーはいい人だという訳でもない。
自分の印象で一番深いのは、当時池袋のアメニティでFNMに参加して、こっちは《
カー砦/Kher Keep(TSP)》と《ウルザの工廠/Urza’s Factory(TSP)》をコントロー
ルしていて、
相手は《ザルファーの魔道士、テフェリー/Teferi, Mage of Zhalfir(TSP)》と《
ウルザの工廠/Urza’s Factory(TSP)》をコントロールしている。
毎ターンの攻撃に合せて、トークンでブロックして、1ゲインを繰り返した。
そこで相手は焦った様子が見せてくれて、“まぁ、焦らないで、ゆっくりやろうよ
。”って言ったら、“うるさい!ジジィ!”って返された。
その後の結果は覚えていないけど、そのせりふはいまだに鮮明に覚えている。
たとえそのプレイヤーは最近の国内GPで連続優勝を遂げたとしても、あのせりふが言われた時点、私はこのプレイヤーの人格を否定する。
人格がないプレイヤーなら、その勝利もそれほど誇れるわけではなかろう。
とりあえず今回はここまで、その後の分は、近すぎて、まったく思い出せません(^^;)
思い出したら、また書きましょうか。
では、また今度。
最初にきっかけは何でしょうか?
初レアは?
最初の大会は?”
今日の定例会うちの部署一切報告する内容がないので、
記憶を辿ってみた。
初めてMTGをしたのは中国の雑誌からだった。当時はまだ1998年、確かに5版発売し
たばっかりな気がする。
その雑誌に、MTGについて紹介した。但し、中国での発売などは一切言及しなかっ
た。
そして初めてマジックのカードと接触したのは1999年の夏、確かにウルザブロック
と第6版が発売されている。
初レアは《ガイアの子/Child of Gaea(USG)》、当時はまだ大きいクリーチャーは
正義だと信じていた時代だった。
そのカードはとても重宝だった。
最初公認大会に出たのもあの時期だった。
詳細は覚えていないけど、デッキ中のパーツは:
《エルフの抒情詩人/Elvish Lyrist(USG)》
《飛びかかるジャガー/Pouncing Jaguar(USG)》
《ティタニアの僧侶/Priest of Titania(USG)》
《ガイアの恵み/Gaea’s Bounty(USG)》
《ブランチウッドの鎧/Blanchwood Armor(USG)》
《ガイアの揺籃の地/Gaea’s Cradle(USG)》
《ガイアの抱擁/Gaea’s Embrace(USG)》
《ガイアの子/Child of Gaea(USG)》
《巨大化/Giant Growth(6ED)》
など。
とりあえず、クリーチャーをだして殴る。
それは自分の黎明期であった。
その後日本に来た。当時はカードをファイルに入れて、日本に持ってきたが、学務
などが忙しい過ぎて、
全然触っていない。そして引越しとともに、そのファイルも行方不明になった。
orz
そして、数年がたった。早稲田大学を卒業し、本田技研への就職も決まって、ちょ
っと暇になった。
池袋でうろうろしていたら、当時まだ6階にあるアメニティに迷い込んだ。ちょう
どラヴニカブロックの発売。
好奇心と当時の記憶が蘇ってもう一同マジックをやることにした。
最初組んだデッキはボロス。また殴って焼くしかできないデッキだった。
いろいろのカードの強さがわからなくて、結構ぼろぼろに負けていたことがあった
。
更にルールに対しての理解が足りなくて、数回シャークされた経験がある。
例えば、こっちは場に《ボロスの速太刀/Boros Swiftblade(RAV)》がいて、向こう
は《闇の腹心/Dark Confidant(RAV)》がいて、墓地に《暗黒破/Darkblast(RAV)》
。
そこで向こうは《闇の腹心/Dark Confidant(RAV)》の能力で発掘して、《暗黒破
/Darkblast(RAV)》を打って、更にドローで発掘して、《暗黒破/Darkblast(RAV)》
を打った。とか。
まぁ、ルールを知らない自分が悪いかもしれない。
その後ギルドパクトの発売。jここから、本格に構築を始めた。
中国への帰省の機会で、向こうの都道府県選手権へ出場した。
時はちょうどコールドスナップ発売されて、解禁する前。
使用したデッキはグルール。
デッキレシピ:
4《瘡蓋族のやっかい者/Scab-Clan Mauler(GPT)》
4《焼け焦げたルサルカ/Scorched Rusalka(GPT)》
3《激情のゴブリン/Frenzied Goblin(RAV)》
4《炎樹族のシャーマン/Burning-Tree Shaman(GPT)》
4《黒焦げ/Char(RAV)》
3《血の手の炎/Flames of the Blood Hand(BOK)》
2《梅澤の十手/Umezawa’s Jitte(BOK)》
4《シラナの岩礁渡り/Silhana Ledgewalker(GPT)》
3《腐れ蔦の外套/Moldervine Cloak(RAV)》
4《巨大ヒヨケムシ/Giant Solifuge(GPT)》
2《ブリキ通りの悪党/Tin Street Hooligan(GPT)》
4《踏み鳴らされる地/Stomping Ground(GPT)》
4《カープルーザンの森/Karplusan Forest(9ED)》
2《怒りの穴蔵、スカルグ/Skarrg, the Rage Pits(GPT)》
7《山/Mountain(ALA)》
6《森/Forest(ALA)》
結果は1敗の5位抜けして、準々決勝でズーに勝った後、用事があって、ドロップ。
このトーナメントは自分最初の上位入賞だった。
その後栃木の大会に出るようになって、初めて参加したのは一刻館のFNMドラフト
。
順取りとは知らずに、《寺院の庭/Temple Garden(RAV)》を初手とか、色々恥ずか
しい経験をした。
ちなみに当時のメンバー:
高澤さん、カナ師匠、桜井くん、神山くん、岩崎くん、ねぎしさん、オレとあと一
人だれか。
もちろんボコボコの3連敗でした。 (^^;)
その次、TFC44thへ出場して、良くわからないけど、いきなり2位になって、LOM権
を手に入れた。
その年末の都道府県は赤白緑バーンで9位。残念。
そこから、本気を出して、東京の大会にも行ったりして、遠征するようになった。
おかげさまで色々の良いプレイヤーと出会って、充実な時間を過ごせた。
でもすべてのプレイヤーはいい人だという訳でもない。
自分の印象で一番深いのは、当時池袋のアメニティでFNMに参加して、こっちは《
カー砦/Kher Keep(TSP)》と《ウルザの工廠/Urza’s Factory(TSP)》をコントロー
ルしていて、
相手は《ザルファーの魔道士、テフェリー/Teferi, Mage of Zhalfir(TSP)》と《
ウルザの工廠/Urza’s Factory(TSP)》をコントロールしている。
毎ターンの攻撃に合せて、トークンでブロックして、1ゲインを繰り返した。
そこで相手は焦った様子が見せてくれて、“まぁ、焦らないで、ゆっくりやろうよ
。”って言ったら、“うるさい!ジジィ!”って返された。
その後の結果は覚えていないけど、そのせりふはいまだに鮮明に覚えている。
たとえそのプレイヤーは最近の国内GPで連続優勝を遂げたとしても、あのせりふが言われた時点、私はこのプレイヤーの人格を否定する。
人格がないプレイヤーなら、その勝利もそれほど誇れるわけではなかろう。
とりあえず今回はここまで、その後の分は、近すぎて、まったく思い出せません(^^;)
思い出したら、また書きましょうか。
では、また今度。
コメント
>すべてのプレイヤーはいい人だという訳でもない。
マジックはチェスや将棋と違って
①会話(宣言)を行う必要がある
②思考時間が必ず不平等になる
という2点において、どうしても対人関係が重要になるんですよね
勝てばいい、としか思ってない人が何でムリしてMTGやっているのか、
私も時々疑問に思う時はありますね(純粋に勝ち負けを競うには余り向いていないゲームだと思う)
ワロタw
思考が簡単な人の駄文なので、触れていただくだけでも光栄でございます。
まぁ、おっしゃる通りでございますね。楽しい対戦なら楽しめるけど、
さもなければ、楽しめないね(^^;)
>重鎮
当時は相当むかついたけど、今振り返れば、むかついた自分も未熟だったね。